瑞穂の国

「冬ざれの休耕田はいと侘し瑞穂の国の危うきを思ふ」井本義孝

日本の国名を「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミズホノクニ」:葦原の長く長く幾千年も水田に稲穂のなる国)と日本書紀にあります。

大国主(おおくにぬし)が少名毘古那(すくなびこな)とともに作り上げた国を見て天照は「我息子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が統治すべきだ」 と大国主に国譲りをせまります。

天照が欲しがった「豊葦原…」は文字通り豊かに葦が茂る低湿地帯で古代の稲作に適した土地が豊かに広がっていたのでしょう。稲作が大陸からもたらされ、富はコメを基準としてはかられるようになりました。それは江戸時代の終わりまで続く日本の価値基準でした。

 またコメは日本人の食生活の中で大きな比重を占めていました。平安の貴族は高坏(たかつき)に高々と盛った強飯(こわいい)の周りにいくつもの副菜を並べ食べていたそうですが、このご飯の周りの数々ある副菜が現代の「おかず」という言葉になったそうです。

室町時代に完成された本膳料理はまさにコメを大量に食べる儀式でした。そこから派生していった茶の湯の懐石料理もコメとコメから作られた酒でもてなす形式をとっています。

高度経済成長期あたりから農家の後継者不足がいわれはじめ、現在では「炭水化物抜きダイエット」などの流行もあり、米作りもコメも敬遠する人が増えてきました。

神代からコメを文化のベースにしてきた日本はどうなってしまうのでしょう・・・?

日本の悲しみを表したような一首だと思いました。(「せせらぎ」への投稿) 

誰そ彼

「せせらぎ」に投稿した短歌についてのメモ

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