2月のお題が「宝」だった。「宝」と言えばすぐ思い出されるのが「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも」山上億良・万葉集:巻五(八〇三)『意味:銀も金も玉もどれほどのことがあろうか。どんな宝も子供には遠く及びはしない。』ではないだろうか。
自分にとって大事なものとは・・・もう60代となってしまった私にとっては「もの」よりも「人との時間」だ。特に「夫」との時間はとても大切なものだ。
「朝夕にもの喰うごとに「おいしい」とつぶやく夫(つま)との宝の時間」
私は夫がとても好きだ。もう結婚当初からかれこれ40年間事あるごとに言い続けているが・・・「ドン引き」されることが多い。「そんなはずがない。嫌なことはお互いにあるはずだからいつまでも好きであるわけがない」とか「あなたは自分をいつわっていないか??」とかさんざんである。つまりは世の中の多くの人が結婚したとたんに連れ合いに落胆し、惰性で一緒に暮らしているということらしい。
まあいい。そんな大好きな夫と別れの日が必ず来る。その日まであと何回一緒に食事ができるだろう・・・?と考えることがよくある。だから夫とは美味しいものを食べて「おいしいね」と言って暮らしたいのだ。夫は何を食べても食べ終わると「ああ、おいしかった!!」というのが口癖になっている。どんな粗末なものでも時間がなくて手抜きになってしまった料理でも・・・である。この「ああ、おいしかった」を聞くと誰とでもないこの人と食事ができてよかったと思えるのである。
SNSやインスタには美味しそうなものがあふれ、女子会や友達との楽し気な様子がアップされている。私もそうした集まりに参加したこともある。・・・が、あの「ああ、おいしかった」はない。友達と着飾って豪華な料理を前にしても私は「夫と食べたい」と思ってしまうのだ。
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